片山津温泉だより

伝説の源平合戦、篠原古戦場

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「篠原古戦場」は、平家の木曽義仲に最後の抵抗を試みて敗れた地。

平家の老将、斉藤別当実盛はかつて命を助けた義仲の情けを乞うことを善しとせず、

正々堂々と戦うために白髪を黒く染めて出陣しましたが、源氏の若武者に討たれ、

その討ち取った首を洗って初めて実盛と知った義仲は涙したと伝えられ

「首洗池」には義仲が悲涙にくれる名場面の像が建っています。

1キロほど離れた「実盛塚」 は、実盛のなきがらを葬ったところと伝えられ、

与謝野晶子は「北海が盛りたる砂にあらずして木曽の冠者がきづきつる塚」の句を残し、

今は老松が塚を守っています。

奥の細道でこの地を訪れた芭蕉も、実盛伝説をもとに

「むざんやな甲の下のきりぎりす」の名句を詠みました。

その句碑は首洗池のほとりに建てられています。 

また、木曽義仲の奉納と伝えられる実盛の兜は、今も小松市多太神社で

見ることができます。

能楽の世阿弥も、実盛伝説に影響された一人です。謡曲「実盛」は、

布教のため加賀に訪れた遊行上人が実盛の霊を供養したという

言い伝えから生まれました。

 伝説の戦場はやがて名作の舞台となり、今も多くの人々を惹きつけています。

片山津の伝説 「竜神と娘」

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柴山潟が今よりずっと大きく、片山津の村がとても貧しかった時代の話てす。

 いつしか湖におろちが棲むようになりました。

夜中になると村人を襲ったり、近くの家を荒らすのもしばしば。

困りはてた村人たちは「なんとか村をお守りください」とお薬師さまに

お参りをかさねたのです。

それから何日か経った後、ひとりの美しい娘が倒れているのが見つかりました。

村人たちは心からの看病をしたのですが夜になると姿がありません。

娘はいつのまにか湖のほとりに来ていたのです。

「あぶないっ。あんなところにいたらおろちに食われてしまう」

村人たちがそう思った瞬間、突然おろちが大きな口を聞き、湖面から現れました。

しかし娘は逃げもせず、手にもつ琵琶をかき鳴らしはじめます。

それはたいへんうっとりする音色で、おろちの顔つきまでやさしくなって

しまったそうです。

「おまえは今、生まれ変わった。これからは竜神として村の守り神となれ」

そういうと娘は天へ、おろちは水中へと消え、二度と姿を見せませんでした。

村人たちは、娘をお薬師さまの命を受けた弁天さまに違いないと噂しあったそうです。

その後、柴山潟から湯源が発見され、片山津は北陸屈指の温泉街へと発展しました。

湖にある浮御堂と竜神像は、人々の感謝をしるして建てられたものです。

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